2026年4月19日日曜日

Benji Hughes “Songs in the Key of Animals”

Shark Attack
Peacockin’ Party
Freaky Feedback Blues
Longshot

2016年。ベンジー・ヒューズとカタカナ表記すれば良いようですが。米国はノースカロライナ出身のミュージシャン。
彼はミシェル・ンデゲオチェロ Me’Shell NdegéOcello のアルバム “Weather”(2011年)に参加していて。ボーカルにピアノ、それに曲を提供したりと。三曲に名前がクレジットされて(採用されて)いるのだから、なかなかの貢献ぶりでしょうか。

その “Weather” や “Devil’s Halo”(2009年)といったミシェルのアルバムに参加していたのが、鍵盤の Keefus Ciancia という方。こちらはミシェルがゲスト参加した仕事の方でもいくつか一緒にやっているおなじみさん。この方、先立ってベンジー・ヒューズのデビュー作 “A Love Extreme”(2008年)にプロデュース他で大きく関わっていたようで、この辺りからベンジーとミシェルがつながったのではないかと思われますが。
“Weather” の(プロデュースはジョー・ヘンリー Joe Henry でしたが)副プロデュースが Keefus Ciancia でしたし。

で、ベンジー・ヒューズのこのCD二枚組みのアルバムですが、ミシェルは4曲でベースをプレイ。特に前に出てくるわけではありませんが、小気味よく曲をドライブさせております。
また “Girls Love Shoes” にもボーカルと一応クレジットされていますが、何人かと混じって声を発しているのみでこれと判別できるほどではなく。

このアルバム、元々は2014年に他のアルバムとセットにした形でベンジー・ヒューズ自身のサイトからセルフ・リリースされていたそう(ウィキペディアより)。それが曲順を変えたりした上で単体で販売、入手しやすくなって。

ジャケットのイラストを見る限りは、これにそそられるかな?というデザインですが、肝心の音は(ミシェルの参加とは関わらずに)なかなかに楽しませてくれるもの。
ロックな曲をさらりと軽やかにやっています。
個人的には、しばしば(特に Disc 1 など)グラムの頃のボウイを思わせたり。これを押し付けがましくなく、声高でなく、すんなりと聴かせて。
きっとネタというか音楽的な素養をまだまだいろいろと持っているのでしょう。



2026年3月8日日曜日

Mark Guiliana “My Life Starts Now”

Strive

2014年。マーク・ジュリアナは米国はニュージャージーの生まれ、新世代を代表するとの呼び声も高いドラマー。
このアルバムも曲としてはレゲエだったりギターがうなったり、あれこれビートが展開しますが、すべて人力のドラミングとのこと。

シンプルに、スマートに、凝ったビートを聴かせるジャズ系ドラマーのソロ作でありましょうか。単純にバカテク自慢ではないにしても、ずっと叩いております。
これ聴くというよりは、ビートに合わせてギターを弾いてみたりドラムの練習したりと、そんな使い方にも適しているような。

実際のところ、プログラムでもサンプリングでも(気持ち良ければ)構わないのですが。
なるほど大した芸ではありますが、ちょっと途中で、もっとローカルのいなたいレゲエやダブ、ブルースの粗っぽいリフなんかが聴きたくなったりして。雑味たっぷりの、そっちの気持ち良さが。それとCD盤は米国と日本のみ、これは配信が主でしょうか。

ミシェル・ンデゲオチェロ Me’Shell NdegéOcello は一曲に参加、ぶつぶつ呟いているだけですが。
ミシェルはジェイソン・リンドナーのアルバム Jason Lindner “Gives You Now Vs Now”(2009年)で共同プロデュースの一人として名を連ね、ベースをプレイもしましたが、そこでのドラマーがマーク・ジュリアナでした。
鍵盤のジェイソン・リンドナーとマーク・ジュリアナの二人は、共にデヴィッド・ボウイのあのアルバム(2015年)に参加したわけですけども、もしももしも、ひょっとしたら、ボウイとミシェルの共演もあったかもしれないと思うと、なかなか楽しく。



2026年2月8日日曜日

Ruthie Foster “Promises of a Brand New Day”

2014年。ルーシー・フォスターはテキサス州出身の歌手。14歳でソロイストとして地元のクワイア(合唱団、聖歌隊)で歌っていたとのこと(ウィキペディアより)。

ゴスペルにブルース、フォークとさまざまな曲が並んでおりますが、主役は歌声。言ってしまえば、聴きやすい薄口のメイヴィスといったところですが、しっかり揺るぎなく。“Promises”(約束された)というタイトルにこめた確信に揺るぎなく。

プロデュースはミシェル・ンデゲオチェロ Me’Shell NdegéOcello が。ベースも担当しておりますが、渋いプレイに徹してバンドの屋台骨を支えております。
どちらかというとギターの Christopher Bruce (Chris Bruce) の方が目立っているかも。彼はミシェルとは長いつきあい。“Devil’s Halo”(2009年)から現在までのミシェルのアルバムにすべて参加している人物で。
またギターではブルースな一曲にドイル・ブラムホール2世 Doyle Bramhall II も参加。彼はミシェルの “Comfort Woman”(2003年)でもゲストとしてバリバリと弾き倒しておりました。

特にアルバムの前半では、ドラムやギターが大きめのバンド・サウンドが鳴っていて、歌を盛り上げておりますが、出すぎるということはなく。
ザ・ステイプル・シンガーズ Staple Singers も(STAX期の1968年に)カバーした “The Ghetto” を取り上げていたりも。オリジナルはデラニー&ボニー Delaney & Bonnie のソウル・クラシック。

ちなみにジャケットの裏面には、(曲目が並んでいるだけで)ミシェルの表記はなし。自分の名前や存在も出すぎては主役の邪魔になるといわんばかり。そういう契約だったのか理由は不明ですが。



2026年1月27日火曜日

Jason Moran “All Rise: A Joyful Elegy For Fats Waller”

2014年。テキサス州の大都市ヒューストンの生まれ、というジェイソン・モランは米国ジャズの鍵盤奏者。このアルバムはファッツ・ウォーラーへのトリビュート作品。

ファッツ・ウォーラーは大雑把に1940年以前とか第二次世界大戦以前と括られる、アーリージャズ期のピアニスト。ここからモダンジャズにもつながるという前段のパイオニアの一人でもあります。
ジェイソン・モランは同じピアニストとして共感や憧れ、自負もあるのでしょう。

軽やかなピアノが小気味良く、けっこうベースがズビズビいくという、聴いて心地良いアルバムです。
軽すぎずシリアスすぎずで、ジャズしか聴かないみたいなファンだけでなく、もっと広くの皆さんに楽しんで欲しいという意向が伝わってきます。今どきの録音ものですから、細かな音が鳴っていたりと、ヘッドフォンで聴いても楽しく。

プロデュースはドン・ウォズ Don Was とミシェル・ンデゲオチェロ Me’Shell NdegéOcello によるもの。
ドラムとベースはジェイソン・モランとはお馴染みのメンバーですが、ここではいつものバンドワゴン The Bandwagon というバンド名は使用せず。
サックスでスティーヴ・リーマン Steve Lehman も参加、ミシェルはすでに彼のアルバム Steve Lehman “Demian As Posthuman”(2005年)に参加しており。またエンジニアとしてミシェルとは旧知のボブ・パワー Bob Power の名前も。

ミシェルはいくつかの曲で歌っており。
もう一人の女性ボーカルと(似たような声で)渾然一体となって歌っていたりと良い感じ。
“Ain’t Nobody’s Business” ではミシェルが一人できっちりと歌っていて。バンドも単なる歌伴という以上に主張して、彼女らしく暗くて美しい仕上がりに。

歌詞を見ますと、さまざまな立場の、だけど少数派、弱者である側から歌われた歌詞でしょうか。ファッツ・ウォーラーには(このアルバムには入っていませんが)他にも “(What Did I Do to Be So) Black and Blue” という曲があって。
「こんなにブラックでブルーになるなんて俺が何をしたってんだ」とルイ・アームストロングも歌った有名曲。毒づいているような、嘆いているような。タイトルの “Black and Blue” には殴られて青アザだらけという含みがありますし、もちろん黒人で悲しいとも取れますし。
ミシェルとしては当然この辺りにも賛同しているでしょうし、それはまた主張でもありましょうか。

もしもミシェル一人だけのプロデュースであったのなら、どんな音のアルバムになっていたでしょうか。ドン・ウォズはブルーノート・レコードの社長(2012年1月から就任)ですから、商売抜きというのもあり得ずで。
例えば選曲が違ったとか。この “Ain’t Nobody’s Business” を聴くと、そんなことも思いますが。

なおライナーノートの内側には見開きで写真が。なにやら暗号めいた英字が掲載されておりますが、ファッツ・ウォーラーには “Your Feet’s Too Big” という曲があり。




2025年12月30日火曜日

Robert Glasper Experiment “Black Radio”

The Consequences Of Jealousy

2012年。米国の鍵盤奏者であるロバート・グラスパーの、全曲にゲスト・ボーカルを招いた歌ものアルバム。彼の名前を一躍高めて、続編も第3作まで制作されたヒット作。

ミシェル・ンデゲオチェロ Me’Shell NdegéOcello も一曲にボーカルで参加。
ドラムを担当したクリス・デイヴ Chris Dave とは、ミシェルはもう幾度も共演済みのお馴染みさん。
彼はミシェルのアルバム“Comfort Woman”(2003年)で全曲のドラムを叩いており。
ミシェルのプロデュースした “The Spirit Music Jamia: Dance Of The Infidel”(2005年)でも、アルバムの半数の曲のドラムを任されていて。

他にミシェルがゲスト参加した単発でもいくつか。
ドリー・パートン Dolly Rebecca Parton へのトリビュートである “Just Because I’m A Woman - Songs Of Dolly Parton” や、チャーリー・パーカー・リミックス・プロジェクトの “Bird Up - The Charlie Parker Remix Project” といったアルバム(どちらも2003年)。
そして英国のバンドであるレディオヘッド Radioheads のカバー集 “Exit Music: Songs with Radioheads”(2006年)では、Me’Shell NdegéOcello & Chris “Daddy” Dave と連名の名義にて曲を提供、すっかり気心の知れた仲に。

ロバート・グラスパーとも、すでにマイロンのアルバム制作できっちり共演済み。Myron “Myron & The Works”(2008年)

広くに売れたアルバムです。ピアノの音も美しく、まずはジェントル、温かな、オシャレめ、なんて印象を受けるでしょうか。
ミシェル自身の作品にもこんなヒットがあればな、とは思うものの。

ミシェルがここで歌った曲は、タイトルを直訳すると「嫉妬した末に」、ミステリ風なら「嫉妬の顛末」、昭和歌謡風なら「涙のジェラシー」ですか。
ささやくようなつぶやくような声で歌っております。いろいろな感情が渦巻いているような詞、曲であります。夜明けも近いのかまだ遠いのか、あまり万人に受ける方ではないような役割りを担った曲で。

さてアルバム・タイトルですが、やはり Black Radio Station を意識したものと思われます。こちらはラジオ局といえばあれ、We-Funk を思い浮かべてしまう耳ですが。



2025年12月21日日曜日

Victor Wooten “Word And Tone”, “Sword And Stone”

Get It Right

2012年。ヴィクター・ウッテンは米国の有名ベース弾き。最高水準の超絶技巧を操るとの評価も高く。
“Word And Tone” は全曲がボーカル有りの歌ものアルバムで、これと対になる “Sword And Stone” の方はボーカル無しの基本インスト版。それぞれに独自の曲も有って、両者はバラ売りかセット売りか選べて。

以前のアルバム “Yin-Yang”(1999年)も同じような歌もの&インストの二枚組でした。
ゲストに招かれたブーツィーが、一曲(“What Crime Is It?”)を歌っていたり。その後もお互い交流を深めていく始まりとなりました。

それから10年以上を経ての、こちらはベテランの落ち着いた安定作といえるアルバムでしょうか。
ボニー・レイット Bonnie Raitt の名バラード “I Can’t Make You Love Me” のカバーも収録。ほどよくジャジーな大人のアレンジで(これはインスト版はなし)、かってプリンスも歌っておりましたが(やっぱり女性ボーカルが安心な)この曲を始めとして、スティーヴィー・ワンダー Stevie Wonder の “Overjoyed” など(これもインスト版はなし)穏やかめの歌が多く。
歌の後ろではベースがブンブンと走っていたりしますけれど。

ミシェル・ンデゲオチェロ Me’Shell NdegéOcello も一曲に歌とベースでゲスト参加。沈みこむようなファンクに呟くボーカル、渋いです。
アルバム “Sword And Stone” に収録のボーカル無しインスト版の方では、ボーカルに代わってホーンがメロディを歌っており。ミシェルのベースがもっと長く(ソロ・パートとか)聴けるとかいうこともなく。それぐらいの違いがあると良かったのですが。

このアルバムで、ちらほらとスライを思わせるようなところがあるのですが、案外に、ヴィクターにスライというのは似合うのかも。